心の掃除とお金という道具

この世で、心の掃除に励み、生きていると、必要なものは、必要なだけ、その都度、過不足なく与えられる。

私は、そういうものだと思っている。

私達は、往々にして、先々のことを考える。

そして、老後のために、いくらの貯金がいる。

そういう計算などをしがちだ。

しかし、果たして、その計算は、そもそもどこかおかしくはないだろうか?

全ては、現時点の自分から、見た視点で、自身の変化ということに、着目していない。

現状が変わらず続く、という前提だ。

自分が自分の心の声に耳を傾け、行動していると、どんどん自分は変化していく。

前日の自分とは、違う自分になる。

自ずと、考え方、行動も変わってくる。

計算というものが、成り立たないのだ。

その都度、状況が変わる。

そういうものなのだ。

小賢しい頭の計算を止めよう。

変化する今を見つめよう。

変化する自分を見つめよう。

昨日言っていることと、今日言っていることが、違ってもいいのだ。

自分は、どんどん変化していく。

成長していく。

変わるのが、自然なことなのだ。

だから、変わることを受け入れよう。

絶対などない。

今、自分はこう思う、ということでしかない。

私は、大元の神様が、自分をサポートしてくれると信じている。

根底にそれがある。

だから、どんな状況も、掃除に一番マッチした、必要な状況が与えられていると考える。

その時、例えば、お金があっても、なくても。

今、掃除に必要なものは、全て揃っている。

お金も道具だ。

掃除の道具だ。

必要な道具を、必要な時に使い、最大限効果が出るよう、活かして使えばいい。

私達は、お金はあればあるだけいいと考えがちだが、それはあくまで、心の掃除のための一つの道具なのだ。

道具は多ければ良いというものではない。

その都度使う道具は、限られている。

道具は、活かして使うことなのだ。

そこに意識を向けることだ。

お金は、便利な道具だ。

私も欲しいという思いはある。

しかし、多く持つことが、必要かどうかは、疑問に思う。

自分の心の掃除、という視点から見ると、そこまで大量のお金がいるシーンがないからだ。

もちろんお金がいるシーンはある。

沢山のお金を使ったこともある。

しかし、いつでも、必要な量はあったのだ。

あればあるなりに。

なければないなりに、心の掃除の道具として、活かしていたのだ。

衣食住。

趣味。

生活を、心の掃除、という視点から見てみると、お金という道具の捉え方も変わってくる。

お金は、自分の欲望を満たすだけの道具ではない。

様々なシーンで、欲望と絡み合いながら、心の掃除をするための有効な道具に成り得る。

私も、お金にまつわる心の掃除では、大きな金額の損もある。

私のお金への欲望から、大金を詐欺にあったこともある。

しかし、それはお金を失うことで、心の掃除に繋がっているのだ。

一見損に見えることが、魂のレベルでは、得な、お掃除ということが言えるのだ。

人間、痛い目に合わないと、気づかない、掃除にならないということがある。

損は得であり、得は損、という逆説的なことが、心の掃除ではあり得るのだ。

掃除が進めば、自然と普通な状態になってくるのかもしれない。

私もまだ、途上だ。

損得計算をするなら、それは心の掃除という視点から、損か得か、と考えると良い。

そうすれば、間違わない。

生きて行く上でのことで。

小賢しい頭の計算ではなくて、魂レベルで得になることをしよう。

そういう選択ができるようになることだ。

心の掃除。

その視点から生きてみよう。

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