本心がある。
それに対して嘘をついてないだろうか?
嘘をつくとは、自分の本心を分けることだ。
本心を分ければ分けるほど、自分が分裂していく。
自分が自分でなくなっていくのだ。
自分が薄くなる。
本心に嘘をつくべきではない。
自分が分裂すれば、もう自分ではいられなくなるのだ。
自分を一つ一つ統合していく必要がある。
分裂している地点から、一歩一歩本心を辿るのだ。
それしか自分を統合する道はない。
自分を統合することこそ、心の掃除なのだ。
これは私の考えだが、この自分の統合の先にあるのが、魂があり続けるという状態だ。
自立するという状態だ。
今魂のあるは、依存している。
大元の神様に依存している。
しかしいずれは自分で立たねばならない。
自分自身が、大元の神様と一体であり、同時に自立する状態とならなければならない。
大元の神様と一体となり、自立するということは、自分を本心と統合するということだ。
自分と本心とを統合するということが、自分と大元の神様を統合することであり、自分の魂のあるを確立するということだ。
私はそう考える。
これは私の宇宙観だ。
受け入れるか受け入れないかは、あなたが判断すれば良い。
それはあなたの自由だ。
ただ私はあなたに後悔して欲しくない。
人生の大きな目的をやり残さないで欲しい。
そう思っている。
単に面白おかしく生きるのも人生だ。
幸せを目的として生きるのも人生だ。
しかし私はそんなに人生は単純なものではないと考える。
単なる自分の幸せのためだけに、生きるのではないと考える。
人生の目的とは、自分の魂をあるたらしめることだと考える。
それは先ほども言った、本心と自分とを統合することであり、自分の意識、魂と、大元の神様とを統合することである。
それが自分の魂のあるの確立だ。
自分は、自分の魂のあるを確立するために生まれてきたのだ。
私はそう考える。
大元の神様の響きと一体となって、自分の魂のあるを確立して欲しい。
死んでもあり続ける状態を確立して欲しい。
私は大元の神様の響きと一体となることこそが、生きる道だと思っている。
生きているうちに魂のあるを確立することだ。
それが本心と一体となることであり、大元の神様と一体となることだ。
自分が大元の神様の響きそのものになることだ。
あじまりかんである。
大元の神様の響きとは、あじまりかんでもある。
私の直観はそう捉えている。
あなたがどう捉えるかはあなたの自由だ。
ただ私はそう捉えている。
人生とは本心を生きることである。
本心を生きるということは、自分の統合である。
自分を統合し、自分と大元の神様とを統合することである。
それが自分の魂があり続ける道だと考える。
未来永劫自分の魂があり続ける道だと考える。
それを確立するために、自分は今回生まれてきたのだ。
私はそう考える。
だから単なる幸せを、人生の目的にしてはいけない。
大きな使命を帯びているのだ。
自分の魂のあるを確立するという。
それを達成せずして、生きてる意味はないと考える。
私はそう考えている。
あなたに私の考えを受け入れろ、とは言わない。
あなたの自由だ。
あなたの人生だ。
しかし私はあなたにも、あるを確立して欲しい。
魂のあるを確立して欲しい。
そうでなければ人生もったいない。
私はそう考える。
大元の神様として自分も生きようではないか。
響きを確立しようではないか。
混じりけのない、本心一つの響きを確立しようではないか。
それこそが生きている意味だ。
私はそう考える。